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| 富士山雑学 | |
| 富士講 | 近世初期にが布教。江戸時代に行者によって講社が発展し、江戸町民や農民の間に、「江戸八百八講」といわれるまでに浸透。白木綿の衣を着て、鈴と金剛杖を持ち、「六根清浄」と唱えながら登山し、一回でも多く富士山に登ることを名誉とした。
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| 六根清浄 | 六根というのは、「眼、鼻、耳、舌、身、意」という人間の知覚作用をつかさどる六つの要素をさし、六根清浄というのは、それらの要素が引き起こす欲望を断ち、心身共に清浄になるようにという願いをこめたかけ声。 |
| 金剛杖 | 修験道の行者(山伏)が用いる四角または八角の白木の杖。 |
| 登山者数 | 1993年3月の環境庁の調査によると、山麓一帯には年間3千万人以上が訪れ、そのうち約4百万人が5合目まで行き、さらに約30万人が頂上を目指して登山している。 |
| 浅間大社 | 富士宮市にある富士山本宮浅間神社は富士山を御神体として奉り、全国に1,300あるという浅間神社の総本社である。 |
| 富士山の「御縁年」 | 富士山はの年に誕生したと伝えられ、60年に一度めぐってくる庚申の年を御縁年と呼んでいる。この年に一度富士山に登れば33回登ったのと同じ御利益があると言われ、登山客が例年より多い年である。1980年(昭和55年)8月14日の富士吉田口で起きた落石による大惨事もこの年に起った。 |
| 著名な富士山強力 | |
| 梶 房吉 | 富士山最多登頂記録を持つ強力。50年間で1672回の記録を持つ。 |
小宮山正 |
御殿場の人で、旧姓勝又。足柄村の小宮山家へ養子に入って別姓となる。新田次郎氏が富士山観測所に勤務(昭和7年〜昭和12年)していた頃、氏と知り合いになる。御殿場の強力の中でも抜群の力持ちで有名であった。風景指示盤を白馬岳に上げた2年後に体をこわして亡くなった。180kgもある風景指示盤を白馬岳へ持ち上げたことを題材とした新田次郎著「強力伝−二十世紀最後の職人の魂」の富士山強力のモデルである。 |
並木宗二郎 |
富士山最後の職業強力。東京生まれだが、御殿場へ移住し冬期富士登山を400回以上行った超人的強力。井ノ部康之著の「雪炎 富士山最後の強力伝」とモデルしても有名。 |
| 富士山での事故 | |
1967年3月5日(昭和42年) |
英国BOACボーイング707型機が富士山上空で乱気流に巻き込まれたのが原因と推測される空中分解をおこし脱落。日本人13人を含む124人全員が死亡。 |
1980年(昭和55年)8月14日 |
富士吉田9合目付近から直径1〜2mもある岩石がいくつか落下。2度の落石があり死者12名、重軽傷者31名を大惨事になった。この年は富士山の御縁年に当たり、お盆ということもあって登山客が多かった。 |
1954年(昭和29年)12月28日 |
富士吉田口7合目付近で新雪表層雪崩が起き、登山者60名が遭難。その内日大生8名、東大生5名、慶大生2名の15名が死亡。 |
1960年(昭和35年)11月19日 |
富士吉田口の吉田大沢で雪崩が発生し、6合目付近で冬山訓練中の早大、東京理科大の山岳部員たち55名が雪崩にのみ込まれた。その内早大生4名を含む11名が死亡し、32名が重軽傷を負った。 |
| 富士山測候所での殉職者 | |
今村一郎(1944年(昭和19年)4月11日殉職) |
御殿場口にて濃霧のためルートを失ったのが原因と思われる。41日後の5月28日に4合目付近で遺体が発見される。享年19歳。 |
小出六郎(1946年(昭和21年)12月28日殉職) |
御殿場口9合目付近で足を滑らせ、岩にぶつかりながら8合目近くまで滑落。仲間の必死の救護にもかかわらず息を引き取った。享年28歳。 |
長田輝雄(1958年(昭和33年)2月26日殉職) |
測候所の強力・炊事担当を長くつとめた後に職員に採用され、富士山をもっとも知り尽くしているといっていいベテラン。御殿場口7合目付近で突風に煽られ、頭から岩に激突して即死。享年59歳。彼の死後、全国の気象庁職員から募金がよせられ、8合目の尾根から頂上に向かって幅1m、長さ1,100mの尾根伝いの登山道が開かれ、風から身を守る鉄柵が設けられた。この登山道は「長田尾根」と呼ばれる。 |
福田和彦(1980年(昭和55年)4月12日 |
婚約が整って幸福の絶頂にいたが、噴火口に滑落して殉職。26歳。 |